私のばあちゃんは、いつもニコニコ笑っていて、一緒にいると明るくなれる、さらにはおばあちゃん特有のかわいさも併せ持つ完璧なばあちゃんである。
まさに、私がなりたい理想の人物像。
将来は私もばあちゃんみたいなかわいいばあちゃんになりたいな〜と思うほど、憧れる存在であった。
そんなばあちゃんが、2024年9月24日の早朝に突然逝ってしまった。
88歳という年齢もあり、そう遠くないことだと思いながらも、私は目の前の生活に追われ、会いに行ったり、電話することさえ、つい後回しにしていた。
毎年恒例の8月(お盆)の帰省も、今年は台風の影響で断念し、「また来年ね」と言って私は気軽に予定をキャンセルした。
その「来年」が訪れることはないとも知らずに。
私が最後に元気なばあちゃんと会ったのは昨年2023年の8月のこと。もはや、最後に何を話したのか、どんな風に別れたのかすら覚えていない。
あの時は、まさかこれが最後になるなんて思っていなかったし、当たり前のようにまた来年元気に会えると思っていたから、そこまで気に留められなかった。
しかし、別れというのはこうして突然やってくる。
もちろんそんなことくらいわかっているが、理論的に理解していたとしても、いざ自分の身に起こるとやはり感情的な問題でなかなか受け止めるのが難しい。
結局、この事実に直面し悲しみの次にやってくる感情は、あの時こうしておけばという後悔だった。
「亡くなった」と聞けば居ても立ってもいられなくて、仕事の予定があろうと構わず休暇を申請し、すぐに駆けつける。一見当たり前のことのように思うし、現に私もそうだった。しかし、果たしてこれが正しいことなのだろうか。本当だったら、ばあちゃんがもっと元気なうちに、計画的に休暇を取得して会いに行き、ばあちゃんの話を聴いたり、私の話を聴いてもらったり、ただ何でもない時間を一緒に過ごしてあげることだってできたのではないだろうか。
別れというのは突然やってくる。だからこそ、いつその時がきても心残りがないように、いま自分にできる最良の選択を取りながら一日一日を大切に生きなければならない。
そのことを知りながら私自身は、これまでの一日一日を大切に生きている”つもり”にすぎなかったのだということを、ばあちゃんが最後に教えてくれた。
そして、ばあちゃんが教えてくれたことはもう一つ。
「笑顔で生きていく」こと。
現代のストレス社会において、常に笑顔で、明るく前向きに生きている人はどれくらいいるだろう。周りを見渡しても、後ろ向きな発言ばかりする人や不機嫌そうな人で溢れている。実際に私自身も、何度試してみてもなかなか実現できずにいる。だからこそ、どんな時でも笑顔で明るく振る舞えるばあちゃんのような人には尊敬の念を抱いている。
88歳という長い人生において、きっと嫌なことや辛いこともあった中で、私に向けられていたのはほとんどが笑顔であった。
ばあちゃんとの一番古い思い出は、私が仮病を使って幼稚園を休んだ日、ばあちゃんに近所の商店へ連れていってもらい好きなお菓子を買ってもらったこと。仮病と知ってか知らずか、怒ることもなくいつも笑顔で面倒をみてくれるので、幼い私にとっては心の拠り所だった記憶がある。
ちなみに、ばあちゃんの家に行けば近所の商店でお菓子を買ってもらえるのを学習した私は、小学校の頃も仮病を使って早退し、ばあちゃんの家に転がり込んだことがある。笑
また、毎年誕生日やクリスマス、お正月やバレンタインなんかのイベントごとには、ニコニコばあちゃんがやって来ては、お祝いやプレゼントをくれた。子供の頃はそれがとても楽しみだった。
こうしてどのシーンを切り取ってみても、ばあちゃんの顔はいつもニコニコ明るい顔をしている。
そんなばあちゃんのこれまでの生き方や人生によって、私もばあちゃんのように毎日笑顔で生きていきたいと思うことができ、今後は確実に実践していこうと心に決めることができた。
最期、ほんのり笑顔で安らかに眠るばあちゃんの顔を拝みながら、私もばあちゃんみたいにこれから辛い事があっても笑顔で生きていくね、と約束を交わした。
気付けば、あれから1ヶ月。
いまだにばあちゃんのことを思い出して悲しくなってしまう瞬間もある。しかし、そんな時こそばあちゃんの笑顔に倣って、悲しくなってしまう前にニコッと口角を上げてあえて笑顔を作るようにしてる。これからの人生を笑顔で生きていく練習も兼ねて。
このまま私の無愛想な顔にも笑顔を定着させ、いつもニコニコしていたばあちゃんの「笑顔」を、しっかりと受け継いでいきたいと思う今日この頃である。